HOME > コラム > Focus 第28回

Focus

第28回 2009年6月19日

混迷するユビキタスの未来とタンジブル・ビット

■宣伝色に染まった「ユビキタス」

 「ユビキタス」(Ubiquitous)の文脈は今ひどく混迷している。
 「至る所にある」というユビキタスの辞書的な意味が転じて、日本のメディアでは「いつでも・どこでも」ネットアクセスできる多機能モバイル・コンピューティングという意味で使われているように思える。各人がたくさんのコンピュータを使うユビキタスの時代──という未来像は、小型情報通信機器の販売を促進する旗としては、確かに有効な宣伝コピーではある。しかし、「いつでも・どこでも」(any time, any place)は、かつて80年代の「高度情報化社会」や90年代の「マルチメディア社会」が華々しく論じられたときに、何度も出てきた使い古されたスローガンだった。では、「ユビキタス」も結局はこれらのスローガンと同様、一時的な流行歌に過ぎず、時が経てばすぐ忘れ去られてしまうのか。ユビキタスに未来はないのか。それは、ユビキタスの原点の理解にかかっていると思う。

■ユビキタス・コンピューティングの原点

 今は亡きマーク・ワイザー(Mark Weiser)がユビキタス・コンピューティングの概念を「The Computer for the 21st Century」(21世紀のコンピュータ)と題した論文として「サイエンティフィック・アメリカン」誌に発表したのは1991年だった。「最も深い技術とは、見えなくなるものである。日々の生活環境と区別がつかないほど、その中に溶け込む。」※1この冒頭の文章が、ユビキタス・コンピューティングの精神と哲学を最も明快に示している。コンピュータが「環境にすっかり溶け込み消えてしまう」ことがそのビジョンであり、それはまさにテクノロジーの浸透した世界を人間がどのように認知するのかという観点から、インターフェースの理想を描いたものである。しかし残念ながら、この論文の中で紹介されていた具体的なプロトタイプ(大小さまざまなスクリーン付きの情報通信端末)は、彼の理念である「見えないコンピュータ」を十分に説明するレベルには達していなかった。彼がこの論文の中で使った「ユビキタス」という言葉は、彼が本当に実現したいビジョンを明快に表すものではなかった。

■マーク・ワイザーからのメール

 実際、本人自身もユビキタス・コンピューティングについての誤解をかなり気にかけていたようだ。'97年1月26日に「Tangible Bits」(タンジブル・ビット)の論文※2を読んだワイザーから、私が受け取ったメールの一部※3をここに紹介する。

 ひとつお願いがあります。テニュアを得た元教授として、それまでのすべての研究から自身の研究を際立たせる必要があることを、よく理解しています。また、私に対する献辞にも、とても感謝しています。ありがとう!
 私のお願いは、ユビキタス・コンピューティングについて、その名称から生じた誤解が広まるのを防ぐこと、これをあなたに手伝ってほしいのです。ユビキタス・コンピューティングは、「コンピュータ」をユビキタスにすることだけでは決してありません。これは、あなたの研究のように、コンピュータをメディアとして環境に溶け込ませるということだったのです。

(中略)

 誤解を招きやすいため、私はユビキタス・コンピューティングという言い方をやめようとしてきました。しかし、その後も幾度にわたってこの言葉が重くのしかかってきます。そこで、Things That Thinkなどを含み、私がかかわっているさまざまな仕事すべての総称として、これを使うようにしていました。拡張現実という言葉をしばらく使ったこともありますが、これもまた異なった意味合いが生み出されてしまいました。私はテーマとしてカーム・テクノロジーという言葉を用い始めましたが、これは研究プロジェクトというよりも、その目的にふさわしいものです。「タンジブル・ビット」はとても素晴らしく、総称にふさわしいかもしれませんが、そうするとあなたの研究プロジェクトを示す名前ではなくなってしまいます!
 われわれが何かひとつの共通な事柄を掲げ、その下でそれぞれの差異を規定していけば、みんなにとって得になるのではないでしょうか。もっとも、それを何と呼ぶかに苦心するでしょうが。
 とにかく、これはすばらしい仕事です。近いうちにMITを訪問して話をするのを楽しみにしています。

─ マーク

■ネーミングの重要性

 ワイザーが私の「タンジブル・ビット」のビジョンに共感を覚え、さらにそれが彼のユビキタス・コンピューティングの思想と深い地下水脈を通じてつながっていることを明快に指摘してくれたことに、私は強い知的興奮を覚えた。彼がメールの中で述べたように、「ユビキタス」という言葉は、彼の思想を表現するには不適切なラベルだったのだと思う。本来の意味を十分理解されず、マーケティングの文脈で濫用されているラベル「ユビキタス」は、残念ながら、かつてはやった「ニューメディア」や「マルチメディア」のように、一過性の流行歌のような運命にあると思われる。もしワイザーが生きていたなら、おそらく彼は「ユビキタス・コンピューティング」というラベルを捨て、「見えないコンピュータ」をコア・コンセプトとした新しいビジョンを作り上げていたに違いない。
 コンピュータが1人あたり何台あるか、それが分散しているか、集中しているか、携帯型か、環境埋め込み型か──それらは、彼の究極のインターフェース理念とは本来無関係のはずであった。後にワイザーは、「Calm Technology」(穏やかな技術)という言葉を使って環境的(アンビエント)なインターフェースを強調しようとしたが、「遍在するコンピュータ」と誤解されたユビキタス・コンピューティングは、すでにひとり歩きを始めていた。

■タンジブル・ビットとは

 私が提唱している「タンジブル・ユーザー・インターフェース」(Tangible User Interface [TUI]) の目的は、物理世界における人とモノとのインタラクションをベースにして、コンピュータの内部にあるデジタル情報とのインタラクションをシームレスに融合することにある。TUIの基本定義と特徴は、直接触れて操作できるインターフェースのデザインであり、'96年から多様なTUIプロトタイプを発表してきた。最も純粋なタンジブルと呼べる入出力一体型TUIとは、入力と出力とが完全に一体化しており、人に力覚情報を提示するフォース・ディスプレー技術によって、実際の動きを表現出力に用いている。直接触れることのできない「インタンジブル」な表現はなく、すべてがタンジブルな物理的媒体のみで成り立っている点が「純粋なTUI」たるゆえんだ。それによって物理世界そのものをデジタル世界とのインターフェースにする道が開け、現在の複雑かつ不透明なデジタル世界への窓口を、認知的に「透明」にすることが可能になるのだ。
 これらのTUIは、概念的にはそろばんに近い。そろばんは、10進数という情報を珠の位置関係で物理的に表現する。10本の指でその珠に直接触れ、情報を操作・計算する。そこには、入力と出力の境界は存在しない。情報表現と操作手段が密に結合した物理的インターフェースの明快さ、直接性がそろばんの特徴である。TUIはこのそろばんの特徴に、デジタル情報の表示手段としてフォース・ディスプレーを加味し、ビット(デジタル情報)をアトム(物理的世界)の着物でつつみ込んだことに特徴がある。

■透明なインターフェースの追求

 私が'99年に発表した「musicBottles」(ミュージックボトル)は、ワイザーの哲学のコアである透明なインターフェースの概念を自分なりに解釈して形にした TUI の代表例である。これは、私からマーク・ワイザーにささげる贈り物だった。
【写真1】 ミュージックボトルは、この透明なインターフェースのコンセプトを可視化・可触化し、モノの持つメタファーに加えて情緒的・審美的な価値にも注目しつつ、「ミニマル・デザイン」を意図的に追求した作品である。
 人類が数千年に渡って使ってきたガラス製のボトル。そのメタファーとアフォーダンスをデジタル世界に拡張することにより、ミュージックボトル・プロジェクトはインターフェースの透明性(transparency)を追求する。ガラスボトルをデジタル情報のコンテナおよびコントローラーとして使い、フタの開け閉めという単純な操作だけでデジタルコンテンツへのアクセスを実現するシンプルなインターフェース。

 このプロジェクトの原点は、私が母親への贈り物として温めていた「天気予報の小瓶」のアイデアだった。台所で料理をしている最中、しょうゆ瓶のフタを開けるとしょうゆの香りが漂ってくる──彼女が慣れ親しんだ物理世界のモデルをベースに、天気予報というデジタル情報へアクセスするための青い小瓶をデザインしようと考えていたのだ。朝起きて枕元にある青い小瓶のフタを開ける。小鳥のさえずりが聞こえれば天気は晴れ、雨の音が聞こえてくれば、雨天というアイデアだ。
 しかし、'98年の夏の終わりに長い闘病生活を続けてきた母が亡くなり、天気予報の小瓶をプレゼントする機会は永遠に失われてしまった。その年の暮れ、私と当時博士課程に在学していたリッチ・フレッチャーとのディスカッションからミュージックボトルのアイデアが生まれ、母への追悼の意味も込めてこのプロジェクトを開始することにした。翌'99年4月27日には敬愛するマーク・ワイザーが急逝し、彼が私に残した言葉がこれにさらなる個人的な意味合いを添える。
【写真2】 パソコンや携帯電話が登場するはるか昔から人類の日常生活に遍在していたガラス瓶に、デジタルコンテンツを詰めることで、ミニマルかつユニバーサルな情報へのインターフェースを実現する。この可能性は、音楽コンテンツに限定されるものではない。例えば天気予報の小瓶はもちろん、詩の入った香水の瓶、物語の入ったワインボトルなど、多様な応用が考えられるだろう。実用性を追求するなら、薬瓶がたくさん置かれた棚を想像してほしい。薬の服用パターンと照らし合わせて患者に服用を促す、その情報を病院へ送るなど、ガラス瓶を使ったサービスはいくらでも考えられる。私たちの生活の奥深くに浸透しているが故に、ガラス瓶のインターフェースには数多くの用途が広がっているのだ。

 デザインされたテーブル上のボトル、それを開けるときのガラスの感触、流れ出る音楽に同期してボトルの中で乱反射するLEDの光──それらは、独特の情緒的・審美的な体験を作り上げる。審美的な喜びは、単純なスイッチやマウスのクリックからは決して得ることができない。そして、この体験はあらゆるガラス瓶の中に入り得るコンテンツを想像するという喜びももたらしてくれる。インタラクティブ・アートとインターフェース・デザインとの境界線をも、あいまいにするのだ。
 人々の日常生活に溶け込む「透明なインターフェース」に加え、機能や性能が中心の従来型インターフェース・デザインとは異なる美的価値の追求が、ミュージックボトル・プロジェクトの大切なメッセージなのである。

石井 裕(MIT Media Lab 副所長)

 

※1.

【原文】
「The most profound technologies are those that disappear. They weave themselves into the fabric of everyday life until they are indistinguishable from it.」(Weiser, M. The Computer for the 21st Century. Scientific American, 1991, 265(3), pp. 94-104.

 
 

※2.

Ishii, H. and Ullmer, B., Tangible Bits: Towards Seamless Interfaces between People, Bits and Atoms, in Proceedings of Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI '97), (Atlanta, March 1997), ACM Press, pp. 234-241.

 
 

※3.

【原文】
Date: Sun, 26 Jan 1997 23:34:10 PST
To: ishii@media.mit.edu, ullmer@media.mit.edu
From: Mark Weiser <weiser@xerox.com>
Subject: "Tangible Bits"

Dear Hiroshi and Brygg,

I recently had a chance to read your CHI 97 paper "Tangible Bits"! Great work! In my opinion this is the kind of work that will characterize the technological landscape in the twenty-first century.

I do have a request. As a former professor with tenure I well understand the need to distinguish one's work from all that comes before. And I very much appreciate your kind acknowledgement to me. Thanks!
My request is that you help me stop the spread of misunderstanding of ubiquitous computing based simply on its name. Ubicomp was never just about making "computers" ubiquitous. It was always, like your work, about awakening computation mediation into the environment. .

"snip"

I tried to stop using ubiquitous computing because of its misleading implication, but it keeps cropping up again, so I keep returning to it as my umbrella name for lots of work, including Things That Think. Augmented reality was in use for awhile, but again got balkanized in meaning. I have started to talk about Calm Technology as a theme, but it better names a goal than a research project. "Tangible Bits" is very nice, and maybe could serve as an overall umbrella, but then you might lose it as the name of your research project!
I think we would all benefit if we could have an allegiance to some one common thing, and define our differences within that. But we struggle with what to call that allegiance.

Anyway, great work, and I hope to visit soon and have some good chats.

-mark
(Dr.) Mark Weiser
Chief Technologist, Xerox PARC

 
 

Photo credit:
Webb Chappell

石井 裕(いしい ひろし)
MITメディアラボ教授および副所長
タンジブル・メディア・グループ・ディレクター
1978年北海道大学工学部電子工学科、1980年同大学院情報工学専攻修士課程修了。1992年博士号取得。人、ディジタル情報、および物理環境をシームレスにつなぐヒューマン・インタラクションを長年にわたり研究。NTTヒューマン・インターフェイス研究所で、遠隔コラボレーション支援の研究後、MITメディアラボで、ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)の新しいビジョン−Tangible Bits− を追求するために、Tangible Media Groupを設立。Tangible Bitsの研究は、HCI の分野にとどまらず、インダストリアル・デザイン、建築・環境デザイン、都市設計、メディア・アートなどの分野で国際的に大きな影響を与えつつある。その業績に対し、MITから2001年にテニュア(終身在職権)、2006年には、日本人としてはじめてCHI アカデミー賞を授与された。
MIT Media Lab - Tangible Media Group